7/16(日)は連休中ということもあって正式な練習はありませんでした
ですが、やっぱり練習したくてたまらず、急遽近くの小学校の体育館を借りました
夕方、遅い時間しか借りられなかったので、最初は何とか4人集まればゲームが出来るかなと思っていましたが、最終的には14人も集まりました
ピックルボール中毒の禁断症状は私だけではなかったようです
しかし、暑かった
体育館の中に入ると暑さと湿度で息苦しく、ここで今からスポーツできるのかってくらいの環境でした
私たちが借りる前にバスケットボールチームの子供たちが練習していましたが、保護者の方々が家庭用の扇風機を持参していた意味が中に入ってからわかりました
窓を開けても風が入らず、西日が差すのでカーテンを閉め、陽が落ちても暑さは変わらず、最後まで汗が止まりませんでした
何とか2時間練習をして片づけをしていたら、倉庫に業務用の大型扇風機が3~4台置いてあるのを発見
これを使えばよかった…
まぁ無事に練習を終えたのでよかったです
今週、ツイッターを見ていたら「ボルグの息子、20歳のレオがツアー初白星」という記事に目がとまりました
えっ…息子?
最初、お孫さんでも不思議ではない年のはずだけどと思いながら、そういうこともあるよねと納得
でも父親がテニスの神様と言っていいほどビッグネームだと、同じ道を進むのは大変だろうなと他人事ながら勝手な心配をしました(余計なお世話ですね)
つい最近もピックルボールでマッケンローが活躍していましたし、こういった時代の選手のニュースを聞くのは懐かしく、うれしいですね
学生の頃、下敷きやバインダーの表紙にタレントや憧れのスポーツ選手の写真を挟み込むのがはやり、部活でテニスをしていた私も例にもれずテニスプレーヤーの写真を挟んでいました
ホントはリサ・ボンダーやマニュエラ・マレーバといった女子選手の写真を飾りたかったのですが、思春期の恥ずかしさからか、イワン・レンドルのドアップ写真を挟み込んでいました
確かに強かったけれど、殺し屋のようなごつい顔は魔除けかというほどインパクトがあり、なぜそのチョイスかとその時の自分にツッコミたいところです
ボルグやマッケンロー、レンドルが活躍した時代はテニスラケットが大きく進化していった時代でもあり、ボルグは木製のラケットのイメージが強いですが、レンドルはアディダスのマークが入った金属製のラケットのイメージが強いです
コナーズが使っていたシャフトが2本に分かれて平行にまっすく伸びたラケットがかっこよくて憧れたのを記憶しています
ラケットのカタログを見るのが好きで、シャフトが3本のラケットやグリップが斜めに取り付けられたラケットなど、まさに過渡期といった時代だったのでしょう
ラケットの材質の進化、フェイスの大型化でどんどんテニスの戦術が変化していった時代だったと思います
当時、NHKで放送されていたベストテニスという番組をよく見ていました
テニスのいろんなプレーをわかりやすく解説してくれる番組で、とても勉強になる番組でした
(たぶん、そうだったんだろうと思います…今では何も記憶に残っていませんが)
ただ一つ、強烈に印象に残っているのが、講師をしていた神和住純さんが持っていたデカラケがほんとにデカくて衝撃だったことです
学生時代、テニスをしていたのはほんの1~2年でした
それから30年以上経ってテニスを再び始め、ピックルボールに出会い、あの頃以上に熱く打ち込んでいます